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宝石研磨の世界

タイのバンコクで宝石研磨工場、宝石鑑別教室を経営してます。

幼馴染 れんなちゃんとの別れ

バンコク日常の出来事、、、幼馴染 れんなちゃんとの別れ

2020年8月25日の夜20時、レンナちゃんのお父さんから
「突然ですが、明日早朝、娘と共に日本に帰ります。本帰国です」と連絡が来ました。
早朝便の為、最後のお別れは出来ませんが、、、と言う挨拶を済ませ、電話を切りました。

娘は、、、「パパ何言ってんの? レンナちゃん親友だよ、見送り行くよ」
私、、   「早朝便で朝3時半起きだし、、、ブツブツ、、、」
私、、、  「明日仕事有るし、、、、ブツブツ」
娘は、、、 「パパ一生のお願い!」

娘にこう言われれば、ひと肌脱ぐしかありません。
翌日、三時半の目覚ましをセットして、早目に床に就きました。
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レンナちゃんはABC幼稚園の頃からの幼馴染で大親友です。最後に思い出の品を何か送りたいのでしょう。
机で一人、遅くまで何か作業をしています。

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レンナちゃんへのお手紙とプレゼント。
プレゼントは小学生らしく、お気に入りの文房具。娘にとっては精一杯のプレゼントなのでしょうが、
しかし、文房具など使ってしまえば、あっと言うまに無くなってしまいます。

長い月日と共に、二人の思い出も消えてなくなるかもしれません。
私は、レンナちゃんが時々娘を思い出してくれるような、そんなプレゼントを娘に紹介しました。

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私がデザインして作ったミネットリング(フランス語で子猫ちゃんの意味)
娘は「かわいい」と言って、気に入ってくれました。

まだ、サンプルが出来上がったばかりで、世に出していない商品ですが、最初の作品が娘とレンナちゃんの思い出の品になるのであれば、とても素敵な事です。

月日が流れて、レンナちゃんが小さなリングの猫を見つめて、娘とのひと時を思い出してくれたら嬉しいです。

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コロナウィルスの影響でマスクを着けています。娘は終始無言でした。

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幼稚園から小学校六年生までの9年間、二人は親友でした。
残り半年の卒業を待たず、レンナちゃんは日本に帰ります。
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マスクを外してツーショット。これが最後のお別れです。

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娘は最も大事な親友とお別れをしました。
娘は長い人生の中で、悲しい別れを繰り返していくことでしょう。
別れがあるから人付き合いを大事にする。そんな優しい子供に成長してくれる事を願っています。
一期一会を大切にする。そんな人間に育って欲しいです。

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  1. 2020/08/26(水) 17:15:28|
  2. バンコク日常の出来事
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母との思い出

バンコク日常の出来事、、、母との思い出
人の死をブログに書くのは不謹慎ですが、いつか記憶が薄れてくるかもしれません。私自身の為に、記録として残しておきたいと思い書いています。

肝臓がんを患っていた母が、11月26日の夕方に吐血をし、私は、急いで名古屋の病院に駆けつけました。
12月1日のフライトに間に合うギリギリの時間まで病院にいましたが、12月1日にバンコクに戻りました。
2019年12月2日 午前3時57分 母が永眠しました。

もう一日フライトを延ばせばよかったと後悔しています。
お通夜に向かう飛行機の中で、思い出せる限り、母との思い出を箇条書きにしました。

①私が21歳の冬、母と妹に初めて会いました。
父と母は私が二歳の頃に離婚をし、私は父に、妹は母に引き取られました。父は私が5歳のときに再婚し、それ以降、母と妹の存在を決して語ることはありませんでした。写真一枚すら残っていません。

戸籍謄本の取り寄せが切っ掛けで、母と妹の存在を知り、戸籍謄本に記載してある母の実家に手紙を送り、親戚の仲介で会う事が出来ました。当時の私は大学三年生、父から高卒で仕事をして欲しいと強い希望がありましたが、どうしても大学に行きたかったので、新聞配達をしながら学費を稼ぐ苦学生の道を選びました。私にとっては苦労した、不遇な時代でした。当時、母は再婚しており、旦那さんの連れ子さん、妹の4人家族で戸塚に住んでいました。

初めて母の家を訪ねた時、妹はバス停留所近くの電話ボックスのの前で、顔のわからない兄の私を待っていました。母は豪華な食事を用意して自宅で待っていました。

②母は、大和市にいる母方の親戚に会わせたいと言いました。そこで私の出生の秘密や離婚時の様子などを初めて聞くことが出来ました。

③22歳、大学卒業と共にアメリカに留学しました。留学前に母を訪ねました。母はその時は静岡県袋井市に転居していました。

④23歳、1年間の留学から戻った時に母を訪ねました。
この頃には、私は父と完全に袂を別れ、その後に終生父と会うことがありませんでした。留学費を借金で賄っており、150万円の借金を抱えた非常に厳しい経済状況でしたが、この件を母に相談することはありませんでした。母は私が何も相談しなかったことを、随分悔やんでいたようです。

⑤25歳 夜行バスで母が会いに来てくれました。この当時、借金は全て完済していました。また、当時交際していた女性に会わせましたが、この時の記憶は不思議と思い出せません。随分たってから、母から夜行バスのこと、交際していた女性の事を聞かされました。

⑥私が27歳の時、妹の結婚式に出席し、母と共に初めて母方の親戚に会いました。

⑦私が28歳、横浜の中華街で、私と母と妹、更に母との出会いを仲介してくれた赤池側の伯父さん、叔母さん従兄弟と6人で会食しました。

⑧29歳、妹の長男が生まれた時に、妹を訪ね、母と再会しました

⑨30歳、タイに行く前の2001年、当時勤めていた会社を退職し、わずかな期間ですが静岡の家で母と過ごしました。母はC型肝炎を患っており、インターフェロンと言う薬の副作用で、3日に一度40度の熱を繰り返す難病と闘っていました。

私は、故郷に錦を飾るまでは日本に帰らないと言い残し、タイに渡航しました。それから、次に母の家に行ったのは14年後の2015年4月でした。

⑩34歳、2005年頃、母が従妹と5人でタイに遊びに来てくれました。当時の私は会社を設立した時で、金もなく、住まいも4000バーツのボロボロの家を工場と住まい兼用で住んでいました。我が家を訪ねたいと母は何度も言っていましたが、その度に話をはぐらかし、母の希望を無視して、観光案内をしました。ボロボロの家の為、恥ずかしくて、当時の家を母にはとても見せる事が出来ませんでした。

⑪36歳 2007年頃、母が妹夫婦、甥っ子二人を連れて、タイに遊びに来ました。
私と家内は1年前に入籍済みでしたが、入籍と義父の死が重なり、結婚式をしていませんでした。母の訪タイに合わせて結婚式をしました。この時は家賃一万バーツの小奇麗なタウンハウスに引っ越しており、初めて母を我が家に案内しました。

⑫40歳、2011年頃、母と旦那さん、母方親戚の叔母を連れて3人でタイに遊びに来ました。
この時は1か月の滞在で、母は私の自宅には泊まらず、私の家の近くの、ホテルのスイートルームを一か月借りました。母の意向で自炊がしたいとの事で、ホテルに秘密で炊飯器、ガスボンベやキッチンセットを持ち込み、部屋の中で自炊をして過ごしてもらいました。プール、フットネスが無料で使え、優雅な1ヶ月を過ごしました。この時、私は仕事場兼自宅の庶民的なタウンハウスを購入していました。小さな出世ですが、母に喜んでもらいたいと思い自宅に招きました。

⑬京都ミネラルショウ出展で日本に一時帰国した時、名古屋から京都まで母と妹家族が訪ねてきてくれました。夕食を一緒に食べて、楽しいひと時を過ごしましたが、僅か2時間の再会でした。

⑭2015年4月、私と家内、娘の3人で母の家を訪ねました。私の娘が小学校入学直前の桜が七分咲きの頃です。
母の家には14年ぶりの訪問でした。この時は母は岐阜県の江南に母と旦那さんと二人でマンションに住んでいました。
家内と娘は初めての日本の渡航でした。
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⑮2016年3月、母と妹と二人でタイに遊びに来てくれました。
母と妹二人だけの初めての旅行だそうです。
私は、タイの高級エステDEVANAで最高のコースを選び、二人にプレゼントしました。
サメット島の家族旅行、これが私の最期の親孝行でした。
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⑯2016年3月名古屋ミネラルショウ出展の折に、母を訪ねました。
 この時は母の体調は既に悪く、滞在は5日間でしたが、私は名古屋のホテルに3泊して、初日と最後の日の二日間だけ母に会いました。

⑰2017年3月名古屋ミネラルショウ出展の折に、母を訪ねました。
この時は母は妹の家の近くの施設に一人で入居していました。5日間の滞在でしたが、母の体調を考え、初日と最後の日の二日間だけ母に会いました。

⑱2019年11月28日、母が吐血との知らせを受け、病院に駆けつけました。母と会話する事が出来ませんでしたが、私が来たことは理解したようでした。1週間前に電話した時は、普通に会話する事が出来たのに、モルヒネの治療の影響で会話が出来なくなっていました。

滞在は3日間、最後のお別れの時、母はひとしずくの涙を流しました。フライトギリギリの時間まで病院にいましたが、12月1日にバンコクに戻りました。深夜11時にバンコクの自宅に帰宅、早朝5時に目が覚めたときに妹からメールが入っていました。2019年12月2日 午前3時57分 母が永眠しました。 お通夜は12月2日、告別式は12月3日。これが物言わぬ母との最期のお別れでした。

思い出せる限り、私と母は18回会っています。
子供の頃に一緒に過ごしていない事もあり、私は母の事を何も知りません。
母の生家、母の友人、好きな花、子供の頃どんな事をしていたのか、私は何も知りません。もっと聞いておけばよかったと後悔しています。

母とは成人になってから出会っており、回数は18回と少ないですが、母との思い出はハッキリと思い出すことが出来ます。
しかし、時間が経過すると、記憶の中で母との思いでも薄れ、顔も声も思い出せなくなるかもしれません。人の死をブログで書くのは不謹慎なことだと承知していますが、記録として残しておこうと思い、私自身の為にブログを書き残しました。

葬儀を終えて、お寺さんで初七日の法要を一緒に済ませている時、霧雨に美しい虹が現れました。天の涙雨は一瞬で消えて、法要が終わると虹も消えてしまいました。最後まで献身的に介護をしてくれた妹への、母からの感謝の涙だったのかもしれません。
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万葉集の高市皇子の作で、山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく と言う和歌があります。 

直訳は、山吹の花が咲いている山の清水を汲みに行こうと思っても、道がわからない、です。
これは高市皇子が身内の死を嘆いて書き残した挽歌です。

山吹の花は黄色、山清水は泉のかけあわせで、黄泉の国と言う意味になります。
和歌に隠された本当の意味は、黄泉の国に母を訪ねて行きたいが、行こうと思っても道がわからない、になります。

私の大好きな挽歌の一つです。
苦労を重ねた母の人生、妹が母を支えてくれました。私は母に何も出来ませんでした。
今際の際に、慟哭する事も出来ませんでした。

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  1. 2019/12/06(金) 11:27:13|
  2. バンコク日常の出来事
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受講生からのメール

バンコク日常の出来事、、、受講生からのメール

今日、嬉しい事がありました。受講生からのお礼のメールです。
以下、彼女の受講までの経緯です。

ある40代の女性から「ヒスイの美しさに魅せられ、いつか宝石の仕事がしたいと言う思いがあり、3日間のコースを受講したいです。その時に15歳の息子と一緒に受講したいのですが、大丈夫でしょうか。彼も宝石が好きなようなので、、、」と言うメールがありました。

2019年8月中旬に、お母さんと中学生の息子さんがNOBU宝石鑑別スクールの門をたたきました。兵庫県から私の授業を受ける為に、わざわざ二人で来てくれたのです。

私はヒスイを中心に宝石鑑別3日間コースの講義をしました。
ミャンマーがイギリスの統治下の時代、ルビーの採掘には一生懸命だったイギリス人は、ミャンマーのカチン州のヒスイの鉱山に全く興味を示さなかったそうです。欧米人にはヒスイは好まれません。一方で、ヒスイは華僑を中心にアジアの市場では絶大な人気を誇り、時には華僑の大金持ちに数千万円以上で取引される事もあります。一方で、安価なヒスイは500円程度で取引される事も有ります。親指の爪程度の大きさで、品質によって数千万円~500円の大きな価格差があるのがヒスイの世界です。

私が宝石バイヤーとしては駆け出しの頃に、ある華僑系中国人ヒスイバイヤーが「金持ちには儲け話が来る、貧乏人には詐欺話しか来ない。これがヒスイバイヤーのルールだ」と教えられたことがあります。

ヒスイの偽物には、ガラスの模造ヒスイの他に、天然アベンチュリン、天然サーペンティン、天然ネフライト等、天然石を含めれば10種類以上のヒスイにソックリな類似石があり、更に、ヒスイの樹脂含浸処理など高度な分析器を使用しないと天然石か鑑別が確定できない処理石の種類も沢山あります。原産地のミャンマーでは100万円で購入した石が、日本の鑑別機関でヒスイでないと判定され、ゼロの評価になる事も頻繁にあり、この石はハイリスク、ハイリターンの非常に難易度の高い仕入になりがちです。

私は、ふたりの母子の受講生に、ヒスイの市場性と買い付けの難しさを伝えながら、難易度が高い故に、希少性が高く、これぞ宝石仕入れの醍醐味なのだと力説しました。宝石バイヤーにとって重要なのは、己ひとりの技術と経験、宝石バイヤーにとって武器になるのは見極める目、腕一本です。それさえあれば、会社などの組織に属さなくても、一匹狼で世界中で渡り合える。それが宝石バイヤーなのだと伝えました。

己の技術一本あれば、世界が評価をしてくれる。一人でどこでも生きていける。だから己の為に勉強するのだ。
いつしか、私は息子さんに向けて授業をしていました。

授業最終日の3日目、息子さんが1ctのエメラルドをインド人と交渉し、購入したことを、興奮混じりに私に語っていました。
緊張しながら、つたない英語と交渉力で購入した、人生で最初の宝石です。

受講から3か月たった昨日、お母さんからお礼のメールがを頂きました。

ーーーーーーーーーーーーー以下メールの原文
大変遅くなりましたが、ぜひ感謝の気持ちをお伝えしたくメールさせていただきました。

はじめ先生の授業をぜひ受講したいとバンコク行きを決めたのは私でしたが、
3日間先生の素晴らしい授業を受ける中で、どんどん息子のほうがが宝石の世界に興味をもち、
ホテルでも熱心に先生に頂いたプリントを復習したり、
その日にトレードセンターで購入した宝石をルーペで見たりしておりました。

息子は生物部に所属しているのですが、帰国後、部活で宝石について発表などの活動をしているようで、
後輩が、次々に家から天然石を鑑定して欲しいと持ってくるのだそうです。
そんな息子の目標は、「お金を貯めてもう一度赤池先生の授業を受けにバンコクへいくこと」です。

大人だけでなく子供も夢中になってしまう、本当に深い授業を有難うございました!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上お母さんからのメール

講師にとって、この上なく嬉しいお便りです。
彼の輝ける人生の一助に成れるのなら、私の授業にも大きな意味があります。

最後に、母子の二人旅には、陰ながら支えてくれたお父さんの力があったと推測しています。
お父さんは家庭の外では会社で働きながら、家族には言えない我慢をしています。男には七人の敵が外にいると言います。厳しい社会の中で、己を殺して、家族の為に人生をささげているお父さんを忘れないでほしい、「いつか親父を尊敬する時が来るぞ。いつかそんな男になれ!」と15歳の少年に、私はオヤジの説教を言いたかったのですが、お母さんの息子さんを見る目があまりに微笑ましく、愛と優しさに溢れているため、中年オヤジの小言などとても言う必要はありませんでした。

彼には伝えたい事があります。
高校生になって、バイトして、お金をためて、自分自身の為の勉強をしてほしい。
大きな夢を持って、尊敬される男になってほしい。

どんな仕事につくにせよ、立派な社会人になった時は、私に一言だけで良いので知らせてほしい。
それだけで、私が教えた甲斐があります。

三流は金を残す
二流は仕事を残す
一流は人を残す   私の座右の銘 後藤新平の言葉です。

今日はとても気分がいい。

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  1. 2019/10/29(火) 21:37:50|
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バンコク日本語補修サークルで皇室のティアラについて講義しました

バンコク日常の出来事、、、バンコク日本語補修サークルで皇室のティアラについて講義しました

デザイナーのなかくらせきかず先生から、美智子さまのティアラの製作時のエピソードを教えて頂きました。
関係者しか知らない、とても貴重な話です。赤字の部分がなかくらせきかず先生から教えていただいたエピソードですので、加筆させて頂きます。


なかくらせきかず先生の作品はホームページにのっておりますので↓のリンクでご覧ください。
なかくらせいかず先生のホームページのリンク

バンコク日本語補修サークルは、私が週一回 土曜日に開催している授業料完全無料の日本語補修校です。
普段はタイの現地校に通い、日本語を話す機会の少ないタイ永住者のタイ日ハーフの子供たちを集めて日本語で授業するボランティアサークルです。私の娘も参加しています。

週一回 二時間の僅かな時間ですが、ほんの少しでもボランティアとして社会貢献をするのは、私にとっても大事な事です。
もう5年このボランティアを続けております。

2018年 10月26日の授業は、令和元年 天皇陛下即位の週でしたので、それについて講義しました。
内容は皇室のこと、三種の神器、皇后様のティアラについてです。
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雅子様 第一ティアラ

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第一ティアラは明治から大正、昭和、平成、令和の皇后さまに受け継がれています。

天皇陛下には3種の神器が受け継がれます。
そして、皇后陛下には3本のティアラが受け継がれています。

明治天皇の皇后である昭憲皇太后から長きに渡り、皇后陛下に受け継がれる由緒正しき「第一ティアラ」。一番の特徴は大粒のダイヤモンド。ブリリアントカットのダイヤモンドが60個ほど用いられたことが報じられています。

ドイツのレオンハード&フィーゲル製と言われ、天照大神をモチーフにしたと伝えられる星(太陽)の飾りは取り外すことができるようになっているとのことです。お代替わりの際、着用しやすいように調整をされ、「即位後朝見の儀」で新皇后雅子さまが着用されていたティアラも、この「第一ティアラ」になります。現在の第一ティアラは、初期のティアラのデザインを再現して作られたと言われています。

また、大正6年製作の皇后第二ティアラは、貞明皇后(大正天皇皇后)時代につくられ、菊をモチーフにデザインされています。
頭頂部に菊花があしらわれています。

第三ティアラは葉が扇状に広がった植物文様であるパルメット文様がモチーフになっており、別名”パルメットティアラ”と呼ばれています。

皇室のティアラは長きにわたりミキモトが製造元だったようですが、平成になってからは公募になり、和光もデザイン製造をしているようです。眞子さまのティアラは和光製、佳子様のティアラはミキモト製です。

一般的な話ですが、ティアラは数百のバーツでできており、各パーツがネジで取り外しができるようになっており、各パーツのリポリッシュやリフォームが出来るようになっています。パーツ一つ一つを職人が丹念に作っていき、製作期間は半年から1年以上と膨大な時間をかけて作っています。

皇室のティアラはダイアモンドを新規で購入するのではなく、皇室所有のダイアモンドジュエリーや以前作ったティアラのダイアモンドを再利用し、時代に合わせてリフォームをしているようです。最高の腕を持つ職人が選ばれ作っています。

1961年の美智子妃婚礼時のティアラは、ミキモトの渡辺弘さんと言う職人さんによってつくられたようです。渡辺弘さんについては詳しく調べる事が出来ませんでした。おそらく、抜群の腕を持つと言われるミキモトの職人たちの中でも、伝説級の腕の持ち主だったのでしょう。1961年と言えば、おそらくキャスト鋳造のない時代で、地金の塊から作る完全な手作りではないかと予想されます。

写真だけでも良いので、彼の作り上げた作品たちを見てみたいものです。どのジュエリーも魂のこもった素晴らしい作品だったのではないでしょうか

以下赤字はデザイナーのなかくらせきかず先生教えて頂いたエピソードです。
美智子皇后のご成婚の時のティアラ、ネックレスのデザインは後のデザイン室長、田居克巳さんです。当時 芸大日本画を卒業後 若いデザイナーでしたが、社内コンペでその新たなデザイン感覚を求めていたので選ばれたと御本人からお聞きしました。

製作に関しては、工場長で退職された後、あるご縁で私のデザインしたものを作って頂いていた、幾原さんから聞いたところ、最初は200人くらいの職人にそれぞれのパーツを作らせ、それを1つ1つチェックしてOKなら次のステップのまとめ、それができたら、その次と云う感じで、最後は当時の工場長(おそらく渡辺さん)が1人で最終まとめをしたようで、その時幾原さんは副工場長だったので 後ろでそれを見ていたと聞いています。

この製作の為に ヘラ、キサゲ等はそれぞれの段階、それぞれの磨きの為に かなりの数を作ったと言われてました。関わる職人も200,100,50,30,10,3,2,人そして、1人となったと!

工場には部外者立ち入り禁止、宮内庁から専属職員も配置されていたそうです。

余談ですが、田居さんも幾原さんも、品格の違いを感じさせるお二人でした。
そのお二人共に スーツをパシッと着こなし、冬はお洒落な中折帽子にロングのコートでネクタイ姿で通勤され、幾原さんは作業着に着替えて仕事をされ、帰りもスーツ姿で帰宅されていました。

その当時、場所を借りていた工場の若い職人たちはラフな格好なのに 幾原さんはパシッとして通勤ですね!どうして?って聞いたらミキモトの社風!外に出た時は紳士であれ!汚れて仕事をしていても、それなりの物を作っているのだから、プライドを持つように指導されたようですね。


日本の宝石業界創世記の伝説的なデザイナーと職人さんの話、素晴らしいお話を聞かせて頂きました。

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バンコク日本語補修サークルでは、普段は日本文化についての講義をしていますが、珍しく私の本業の宝石の話をしました。
皇室に伝わるティアラに焦点を当てて講義しましたが、子供たちは目を丸くし、ティアラの美しさに目を奪われたようです。

子供たちは宝石について、ちょっとだけ興味を持ってくれたようです。

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  1. 2019/10/26(土) 14:52:39|
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フェードアウトする生徒

バンコク日常の出来事、、、フェードアウトする生徒

毎週土曜日の午前中、私はバンコク日本語補習サークルと言う団体の ボランティア活動をしています。
タイ日ハーフの子供たちを私のオフィスに集めて、授業料無料の日本語補修校を活動をしています。
教室はNOBU宝石鑑別スクールの教室で、運営費、教材は全て私の負担、講義も私自身が行っています。
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子供たちはタイ日ハーフで、タイの現地校に通っている子供ばかりです。普段は日本語を話す機会が少ないので、毎週土曜日に当教室に通い、同世代の子供同士で日本語で会話しています。私の講義は国語算数だけでなく、古事記、俳句、和歌、偉人伝、日本文化と多岐な分野を講義しています。

この活動も5年目になります。5年間ボランティアを活動してわかった事は、社会奉仕活動は忍耐の連続だと言う事です。

先日ある保護者にこんなメールをだしました。

以下保護者へのメール
ーーーーーーーーーーーーーーーー
○〇ちゃんが長期お休みされていますが、子供たちがどうしているかと、心配する声が度々出ています。

当方は無償のボランティアをしており、見返りのない中で教室のモチベーションを維持することは生徒が毎週土曜日の教室を楽しみにしてくれることであり、可能な限り毎週来てくれることのみです。

私自身は恩の押し売りの様な事や、保護者に見返りを求めるような行動はしないようにしていますが、一方で、数年間お世話した状態で、保護者が一切の連絡や挨拶もなく、フェードアウトして教室をやめる事は悲しい事です。

教室に来なくなった理由は当方にはあずかり知らぬ事ですが、子供たちにとっては、○〇ちゃんは大切な友人だったのであり、事故や病気を含め何か深刻なトラブルがあったのではないかと心配しています

ご連絡いただければ幸いです。

赤池
ーーーーーーーーーーー以上保護者へのメール
この生徒は私の教室に4年通っていました。両親の子育ての方針で、突然、教室に来なくなり、そのまま教室を辞めていきました。
幼児教育の世界では、転校などで学校の友人と別れるとき、本人も含め、友人に黙って居なくなるよりも、最後のお別れをしっかりとさせた方が、子供の成長には良い効果があるとされています。
一方で、この様なメールを出す事自体保護者に、恩着せがましく、ウザい!と思われるのかもしれません。

最近、保護者が一切の連絡や挨拶もなく、フェードアウトして教室をやめる事が多々あります。
飛ぶ鳥跡を濁さずと言いますが、当サークルを辞める時に、子供と一緒に菓子折りを持って挨拶に来る保護者は日本人よりもタイ人の方が多く、日本人の多くは一通のLINEやメールの連絡で済まし、一部には無言でフェードアウトしていく方もいます。

お中元やお歳暮、御礼状や年賀状などの風習が薄れつつあり、LINEやメールの発達で人間関係が希薄になっています。
社会人になって、ビジネスを通して世間の荒波にもまれて、礼節のある挨拶の大切さを理解するのですが、海外生活が長くなるとそれを忘れてしまうのかもしれません。

私は娘に年賀状と暑中見舞いを必ず日本人学校の担任の先生に書かせています。
若い先生から、初めて暑中見舞いを教え子から頂きました、と言うお礼の言葉を頂いたことがあります。
この若い先生はとても喜んでくれたようで、職員室で同僚の先生に暑中見舞いが来たことを自慢したそうです。

こんな事、以前では当たり前の事だったのに、世知辛い世の中です。
面倒なものを排除していった結果、暮らしにくい世の中になっていった様に感じます。

日本的な礼儀正しさ、感謝の心を次世代の子供に伝えるのは大人の義務です。

ボランティアとは一切の見返りを求めない社会奉仕活動であり、「ありがとう」 と言う感謝すらも必要ありません。
そんな心意気でなければ出来ないことは重々承知しています。ボランティアとは自己満足の世界であり、無償の人助けです。

私はボランティアを五年継続して、宗教家を尊敬するようになりました。
人助けとは我慢の連続であり、モチベーションの維持する事は大変な事と痛感しています。
お坊さんや神父さんなどの宗教家は、伝統宗教を金儲けやカルトの様なあやしいものに勘違いされ、生臭坊主、エセ神父など揶揄されながら、私利私欲をを捨て、無償の人助けや心の救済を24時間、365日やっているのです。

私は宗教家の様な崇高な志しでボランティアをやっていません。
そんな事を考えていたら、いつか心を病んでしまうでしょう。

この活動は私の趣味であり、ストレス発散のつもりでやっています。
弱肉強食の厳しいビジネスの世界で、週わずか2時間のボランティアが、私の心を浄化してくれるような気がするのです。

週たった2時間だけの社会奉仕、それでも私の人生の修行になります。

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  1. 2019/06/21(金) 11:48:49|
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